ももちゃんのさんぽ
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そのA舞子砲台跡

「西垂水YY掲示板」西垂水ワイワイ掲示板2005年9/19号掲載

  
江戸時代を通して日本は鎖国政策をとっていましたが、19世紀後半、
日本との貿易や日本近海の捕鯨操業の補基地確保の為、欧米諸国が次々と開国を迫るようになります。
やがて、日本各地で外国船が出没するようになりました。
そのころの日本には、尊王攘夷(天皇親政、外交拒否)の思想があり、
日本全国の海岸線に約1000基の台場(砲台)を造りました。
しかし、内海で比較的安全だと思われていた大阪湾で、ロシアの使節団を乗せた軍艦が
出没する事件が発生し、京都御所を警備するうえで明石海峡の警備強化を図ることになりました。
既に舞子の浜でも明石藩によって台場が築かれていましたが
文久3年幕府より一万両貸与され、急遽改築を命ぜられました。
工事を監督したのは当時、神戸海軍操練所設立の為、派遣されていた勝海舟といわれています。
そうして築かれた舞子砲台は稜堡式(りょうほしき)と呼ばれる西洋式の総石垣造りの砲台です。
これは全国的にもめずらしいものだそうです。
現存する舞子砲台跡の石垣は建造当所のままのものであり、さらに地中に
埋もれた分部でも良好に残存していることが平成15年〜17年の発掘調査で明らかになりました。
砲台跡の東西幅が約70メートル、平面形がほぼ左右対称のW字型(稜堡式)になっていたことや、
どのように基礎工事が行われていたことなども確認されました。
舞子砲台跡は幕末から近代へ移り変わる日本の歴史遺産といえますね。

<参考> 神戸市文書館「舞子砲台跡」 「神戸めるまが倶楽部」バックナンバー



その@五色塚古墳
そのB万葉歌碑
そのCたルミナリえ〜?
そのD石谷の石窟
そのE舞子六神社
そのF石造宝筺印塔(遊女塚)
そのG舞子海上プロムナード
そのH孫文記念館(移情閣)
そのI松平日向守供養石碑
そのJ海神社


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